パラリンピックの競泳競技に日本代表として参加し、ロンドンとリオでは銀メダルと銅メダルを獲得した木村敬一選手。
「キム」という愛称で親しまれている木村敬一選手の出身地はどこなのでしょうか?
また、出身大学や高校は?
さらに小学校や中学校までさかのぼり、今後の活躍も期待される木村敬一選手の強さの原点に迫ります!
木村敬一の出身地は?
木村敬一選手の出身地は、滋賀県栗東市(りっとうし)です。
しがスポーツ大使を務めています!
私が生まれた滋賀県は、琵琶湖や伊吹山といった大自然に恵まれた、とても気持ちの良い所です。
また、皆が心に余裕をもって生活しているので、落ち着きがあり、日本一過ごしやすい所ではないでしょうか。
そして、県民の温かさも日本一だと思います。
故郷の皆様からの応援は大きな励みになると同時に、厳しい競技生活の中に、ふとした安らぎを感じさせてくれます。
そのような中で競技できることは、最高の幸せです。
引用:https://www.pref.shiga.lg.jp/sports_navi/kangobuchou/106964.html
1990年9月11日に滋賀県で生まれた木村敬一選手は、1993年の2歳の頃に、先天性疾患の増殖性硝子体網膜剥離のため全盲となります。
全身麻酔での手術を3回受け、4ヶ月間の入院生活を過ごしたそうです。
2歳という幼さでその苦悩を経験したのですね。
木村敬一選手のポジション・クラスはS11、SB11、SM11です。
アルファベットと数字は競技種目と視覚障害の程度を表し、
「S」は自由形、背泳ぎ、バタフライ
「SB」は平泳ぎ
「SM」は個人メドレー
「11」は光覚なしから光覚まで、どの距離や方向からでも手の形を認知できないもの(全盲)
「12」は手の形を認知できるものから視力0.03まで、または視野5度以内のもの(弱視)
「13」は視力0.04から0.1まで、または視野20度以内のもの(弱視)
となっています。
木村敬一の出身小学校や中学校はどこ?
木村敬一選手の出身小学校は、滋賀県立盲学校小学部でした。
滋賀県立盲学校小学部
〒522-0054 滋賀県彦根市西今町800
自宅と盲学校が遠かったことから寮生活をしていて、水泳は小学校4年生の時に始め、週に1回通っていたとのことです。
小学生の時から寮生活をされているのは凄いですね!
水泳との出会いは小学4年生のとき。
2歳で視力を失った僕の体力づくりのため、母が県立盲学校の近くのスイミングスクールに通わせてくれたんです。
最初は怖くて戸惑いましたが、もともと運動好きだったこともあり、水中の開放感が心地よく、泳ぐのが楽しくなりました。
小学校を卒業と同時に上京し、筑波大学附属盲学校中学部で、本格的に水泳の指導を受けるようになり、以来水泳に打ち込む毎日です。
引用:https://www.pref.shiga.lg.jp/kengai/interview/22044.html
持ち前の好奇心と根性で恐怖を打ち破り、自由に泳ぐことができる水泳にどんどん夢中になっていったのですね!
木村敬一の出身中学校はどこ?
木村敬一さんの出身中学校は、中高一貫校である筑波大学附属盲学校(現、筑波大学附属視覚特別支援学校)の中学部に進学し、そのタイミングで上京しました。
筑波大学附属視覚特別支援学校
〒112-0015 東京都文京区目白台3丁目27−6
そして水泳部に所属し、実力を磨いていったようです。
小学校で寮生活、中学校で上京と早くから親元を離れて自分の力で生活していたとはすごいですよね!
その精神力も競技によい影響を与えているのでしょうか。
また、2004年の中学校2年生の時にアテネパラリンピックが開催され、その日本代表選手たちと一緒に練習する機会がありました。
多くのパラリンピック選手を育てた寺西真人さんが当時の水泳部のコーチを務めていて、木村敬一選手に「本格的に水泳をさせたい」という思いからだったようです。
そしてその時に、木村敬一選手の心に「いつかパラリンピックに出たい」という思いが沸き上がったということです!
運命を左右する出来事となったのですね。
木村敬一の出身高校や大学は?
前述したように木村敬一選手は、中高一貫校の筑波大学附属盲学校(現、筑波大学附属視覚特別支援学校)に入学し、そのまま高等部へと進学しました。
もちろん水泳部に所属し、ぐんぐん実力を上げていった木村敬一選手は、なんと高校3年生17歳という若さで北京オリンピックに初出場を叶えます!
木村敬一の出身大学はどこ?
木村敬一選手は筑波大学付属盲学校を卒業後は、出身大学の日本大学文理学部に入学し、卒業後は日本大学大学院文学研究科教育学専攻博士前期課程修了ということで、最終学歴は大学院です。
スポーツもできるうえに、勉学にも励んでいたのですね!
まさに文武両道です。
そんな木村敬一選手が急成長を遂げた裏には、コーチである寺西真人さんとの二人三脚の歴史が欠かせません。
人一倍練習し、厳しい課題でうまくいかない悔しさをバネにタイムがどんどん伸びた木村敬一選手。
そんな負けず嫌いな性格に寺西コーチは可能性を感じ、「まるで息子のよう」と愛情を持ちながら熱心に指導してきました。
パラリンピックの競泳では、プールサイドに立った人が棒の先に付いたスポンジのようなもので選手の頭や体の一部をたたき、プールの壁を知らせる役目を担います。
そして、木村敬一選手のタッパーを努めるのが寺西真人コーチだったのです。
木村敬一選手の目となり、気持ちを一つにして一緒に泳いでいるのですね。
木村敬一選手の大学進学後は指導から離れた寺西コーチでしたが、その後も日本身体障害者水泳連盟員の立場から国内外の大会や日本代表合宿などに同行し、タッパーとして木村敬一選手を支えてきました。
木村敬一選手にとって、なくてはならない存在だったのですね!
親以上に一緒に過ごし、自分のことをわかってくれている。
積み上げてきたものがある分、安心感がある。
もし(寺西コーチとのコンビで)失敗するならしょうがない。
僕のレースを成立させるために、いてもらわないと困る。
最高のレースを完成させるためのビジネスパートナーのような存在
引用:https://www.tokyo-np.co.jp/article/22801
寺西コーチもその思いを語ります。
お互いを思い合う気持ちが伝わり、とても素敵な関係性ですね。
木村敬一選手のパラリンピックでの主な成績がこちらです。
●2008 北京パラリンピック
100m平泳ぎ(SB11) 5位
100mバタフライ(S11) 6位
100m自由形(S11)5位
50m自由形(S11)予選敗退
400m自由形(S11)予選敗退
●2012 ロンドンパラリンピック
100m平泳ぎ(SB11) 銀メダル
100mバタフライ(S11) 銅メダル
50m自由形(S11) 5位
100m自由形 (S11) 5位
200m個人メドレー(SM11) 8位
●2016 リオパラリンピック
50m自由形(S11) 銀メダル
100m平泳ぎ(SB11) 銅メダル
100mバタフライ(S11) 銀メダル
100m自由形(S11) 銅メダル
200m個人メドレー(SM11) 4位
まとめ:木村敬一の出身地は?出身大学や高校は?小学校や中学校も!
パラリンピックの競泳選手、木村敬一選手の出身地は滋賀県栗東市、出身大学は日本大学文理学部、高校・中学校は筑波大学附属盲学校(現、筑波大学附属視覚特別支援学校)、小学校は滋賀県立盲学校だったことがわかりましたね!
幼い頃から視覚障害を乗り越え、自らの努力で水泳という輝ける場所を見つけた木村敬一選手。
将来は視覚障害を持っている子どもたちがスポーツに触れられる機会を作ったり、障害者スポーツが社会により認知されるような活動に携わったりしていきたいと考えているそうです。
今後も、悲願の金メダルを目指す木村敬一選手の挑戦をしっかりと見届けて応援していきたいと思います!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。